さいぞう先生の『進化する訪問マッサージ』ブログ

このサイトの目指すところ

本日はご訪問頂き、ありがとうございます。

さて突然ですが、ここにたどり着いたあなたは、きっと、こう感じていらっしゃるのではないでしょうか。

「訪問マッサージはつまらない。希望が見えない」

「慰安のマッサージではなく、”治す”現場で患者さんと向き合いたい、感謝されたい」

 

あなたの想いを否定はしません。

ですが少し待ってください。 家族や友人、専門学校の元同級生に訪問マッサージの限界を語り、去ってゆく前に、、

もう一度その可能性と、ここにこそ『治療家としての成長の土台がある』ことを思い出して欲しいと思い、私はこのブログを始めました。

 

いくつかの問いかけと共に、このサイトのビジョンをお話ししたいと思います。

 

あなたは、5年後、10年後の自分が、どういう環境で仕事をしていると思いますか?

 

”訪問マッサージ”という仕事自体は残っているでしょう。

ただ、その形は変わってゆきます。変わらなければ、生き残っていけなくなってきているのです。

ではどう変われば、未来の訪問マッサージの中で、より「必要とされる自分」になれるのか。

答えは一つではありませんね。その答えは人それぞれです。

なぜなら、生きる上での『充実感』が人それぞれだから。

人に『必要』とされる治療家になるためのスキルこそ、「訪問マッサージ」で身につけられる。

治すことだけで人から必要とされる時代は終わり、もう一歩先のスキルが求められる時代が来ています。

 

あなたは『充実感』をどういう時に感じますか?

私は、仕事を目一杯頑張って、休日に家族や仲間達と焚き火を囲み、肉を焼きながらビールを飲む時です!

 

はじめまして。 さいぞう先生と申します。

プロフィールはこちらに👉https://www.saizosensei.com/プロフィール/

 

訪問現場で様々な他業者さんとお会いします。そんな時、なんとも言えない違和感を感じていたのですが、その正体がここ数年ではっきりしてきました。

それは1人の若い鍼灸マッサージ師さんとお話した時のこと。

 

彼は国家資格を取得し、生活の安定を求めて訪問マッサージの道へ。
彼の仲間を含めて、皆さん働き始めは皆楽しかったと言います。

 

初めは笑顔になってくれる患者さんに逆に癒され、お礼に手渡されるお菓子を持つ自分の手を、誇らしげに見つめる瞬間もあったと言います。

しかし数年もすると、「治らない」高齢者の症状に自分の腕を疑い、先の見えないまま続く慰安的なマッサージに辟易としてくる。

日々のルーティーンに喜びが薄れてゆき、ふとした瞬間に「このままでいいのか」と。

 

私が感じていた違和感は、現場ですれ違う時の、彼らの一様なツマラナそうな顔の裏側にあったのです。

こちらの挨拶に小さな声で返し、眼も合わせずに患者様の元へ。

私は、ただただ、残念です。

 

だれにそんな諦めと我慢を押し付けられたのでしょう?

日々の安定したお金のため?

もちろんお金は大切です。

ですが、

 

時間を切り売りするようなルーティンマッサージで、あなたは一生過ごしますか?

あなたがいる現場は確かに困難でしょう。

例えば、健康体の方ならある部位を緩めることで緩和する疼痛が、高齢者は緩んだことで歩行が逆に不安定になることもある。そういう複雑さを持った方々だからです。

基本的に、院に自分で歩いてくる患者さんは、普通(例えば「先輩から教えられた通り」)施術していれば、自然と治ってゆくことが多い。

逆にそういう患者様を相手に治療する方が、簡単とは言いませんが、話は単純でした。

 

私は整形外科の保存療法科に勤務しながら訪問に出ていた時期がありましたので、肌でその違いを感じています。

パレは言いました 『我包帯す、神癒し給う』

 

『治す』のは患者様自身の力です。我々はそれをお手伝いさせて頂くだけ。

でもあなたが向き合う高齢者、障害のある方々は、ご存じの通り圧倒的に自己治癒能力が落ちている。

はっきりいいますが、訪問事業においては、『治る』の定義が違うことを思い出して欲しいのです。

それは治せないことの言い訳ではありません。
そう思うのは治療家としてのエゴだと知らなければ、本当の意味での貢献にたどり着けない。

そこを間違えることで、せっかくのあなたの力を活かせず、方向性を見失ってしまう。
わたしはそれを見る度、たまらない切なさを感じてしまいます。

 

あなたがあなた自身に変化を起こせば、

その患者さん、そしてその周りのご家族や、関わる介護・医療関係者の方々までも巻き込んで、素晴らしい共同体として社会に貢献できる場所なのです。

 

綺麗事に聞こえますか?

いいえ。と私は断言します。

 

現に私は、患者さんに慰安のマッサージのみを提供するのではなく(時に「慰安」は重要なことであることも、またご説明します)、 自分を押し殺しながら平たいトーンで挨拶して毎週通うのでもなく、

関わる介護・医療事業者の方に面倒な営業をかけることもなく、 自分の背中を見てもらうだけでいつの間にか信頼関係を構築し、いつの間にかご紹介を頂き、 出入りする介護施設の方々にも多大なるご支持を頂くようになりました

 

そうすることで、私は何を得るのか。

 

先ほど最高売上100万越えで、アベレージ90万円を5年間以上継続と書きました。

うちは大きな訪問事業者ではないので、コンサルが付くわけでもなく、営業部に頭をさげて患者さんを回してもらったわけでもありません。

実際営業部なんてない「弱小事業者」ですので、私個人への紹介とコンスタントな売上のみです。

 

さて、 こういう話をすると、もうすぐ保険診療は終わりの時代がくるから意味がない、という話になります。

そういう話じゃないんです。。

 

まず、今のままの働き方、意識こそ、縮小される保険制度と共に葬り去られてしまうのだと自覚して欲しいのです。

我々はもっと先を見なければいけないと、いう話をしています。意識変革を起こさなければいけない。

 

この訪問マッサージという感謝するべき制度を『利用』し、『進化』させることで、自分も、患者様も、その家族も、 医療連携を含めたコミュニティ全体がQ.O.Lを向上させる一助になれる。

そうすることで、次世代の訪問マッサージが活躍できる場が生まれると信じています。

 

治療家としての喜びと経済的な流れを両立し、それらを自分の場所で止めてはいけません。

まず自分が充実し、潤い、そして関わる人々にシェアしてゆきましょう。

これこそが治療家としての本質だと私は確信しています。

そしてそれを実現できるのが、『訪問マッサージ』であると断言します。

 

『魅は与によって生じ、求によって滅する』

『人は自然から遠ざかる程に、病気に近づく』

 

「自然」とはなんでしょう。 共に考えましょう。

「自然は、我々自身の中にある」

 

 

それをこれから共に語りあってゆきましょう。

ここまでお読み頂き、本当にありがとうございます。

よろしくお願いいたします!

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